戦後5年経った占領期真っ只中の昭和25年11月18日午前4時51分、下京消防署に「京都駅出火」の一報が入ります。
時を同じくして全消防署が望楼で出火を確認、副消防長が現場に駆け付けた時には既に火の勢いは中央ホールの屋根を貫き東西へ広がりつつありました。内部に防火壁が無く、棟続きで天井が高い円筒形となっている為に炎が四散したと見られています。さらなる拡大を予想し市水道局にも応援要請、下京・上京・中京・東山・左京・右京・伏見消防署による消火活動が開始されす。しかし火の勢いは衰えず、外部からの破壊によって便殿(貴賓室)への延焼を抑えるしかない状況となり、更には付近の貯水槽が枯渇状態に陥っていました。この時、急遽利用されたのが東本願寺の外濠です。当時のの東本願寺外濠は本願寺水道によって蹴上から常に水が供給されており、これがなければ現在二代目京都駅舎のものとして唯一残る便殿のシャンデリアを見ることは出来なかったでしょう。
駅西側乗降口屋根を破壊すると共に本屋西壁を死守線として集中注水を行ない、午前6時50分をもって鎮火となりました。当時、便殿横には進駐軍の武器弾薬が置かれていたものの、これらに被害は無く無事運び出されていたようです。また、切符類は全て焼失したものの金庫が無事であった為、駅業務は通常と変わらず行われました。
この一件で、発見が遅れた下京消防署長は責任を問われて左遷されたそうです。
 
二代目京都駅(下京消防署望楼より)
下京消防署望楼より見る二代目京都駅



火災後の京都駅前は通勤や旅行での利用客でゴッタ返し、警官約300名が交通整理に当たりました。
京都市電は四条烏丸で折り返し運転、東海道本線をはじめ山陰線・奈良線が一時不通になるも、7時頃に復旧し8時半から客扱い停止を解除します。早朝から騒然となるも、当日中にバラック建ての窓口を各10ヶ所急造する等、仮駅として通常の営業を早々に再開しました。この時、火災対応を命じられて現地入りをし仮駅舎建設を指示したのが、佐野正一です。その後、すぐさま三代目京都駅の設計に取り掛かることとなりました。
貴賓室の残骸
火災後の便殿を北東から撮影したもの
 
待合室の残骸
焼け落ちた待合室の様子
 
郵政博物館『京都駅の火災』京都市消防局 京都消防歴史資料館『昭和25年11月18日 下京区京都駅火災』でも駅舎火災の様子を見ることが出来ます。(京都消防歴史資料館で、初代京都駅の竣工が明治9年9月となっていますが、明治10年2月の誤りです。)
京都消防歴史資料館では、蒸気機関車のタンクからも水を確保している様子を見ることが出来ます。 

実はこの二代目京都駅、以前から消火施設等の老朽化が著しく安全規則違反で改善命令が出ていました。しかし戦後の復旧資材不足の為に配電線の一部が戦前のまま放置され、その改善が遅れていた所にこのような惨事が起こってしまったのです。二代目京都駅の焼失は起こるべくして起こってしまったのです。
さて火災の原因は、駅舎内にある都ホテルが経営する食堂の従業員が更衣室で使用したアイロンの不始末によるものでした。
平面図左側、駅舎東側が都ホテルの食堂になります。「事務室」と書かれた部屋が従業員更衣室なのではないでしょうか。事務室は二カ所ありますが、どちらから出火したのかは定かではありません。

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二代目京都駅本屋平面図二階


火災に至るまでの様子が、当時の法律雑誌に記載されていました。
アイロンを掛けているA子の側にいるB子に1男が自身のズボンにアイロンを頼むことから全ては始まります。アイロン掛けが終わったA子が帰宅し、B子が1男のズボンにアイロンを掛けようとすると2男がズボンをアイロン掛けすると光ってしまうと伝えました。1男はそれを聞きアイロンを諦めズボンを受け取るとB子は用が無くなったので帰宅しますが、男性2人もそのまま退室してしまいました。
(当時の一部雑誌では男性2人がアイロン掛けについて揉め、その為に始末を忘れてしまったとの記述も見られました)
これによってアイロンは通電状態のままとなり、アイロン台から床板と熱が移り出火に至ったというわけです。
しかし起訴されたのは彼ら4人ではなく、その晩夜警を行なっていた同食堂の料理人でした。
理由としては、夜警業務を怠らなければ火災を防ぐことが出来た可能性が高かった為とあります。
専任ではないとはいえ本人の希望で夜警の任に就き(手当て付き)一時的な業務でなかったこと、普段から従業員更衣室でアイロンを使用していることを知っていたこと、夜警の際に更衣室の電気を消し鍵を掛けただけで細かい箇所の確認を怠ったこと、一晩数回の巡回を一回しか行わなかったことが挙げられました。
この火災による裁判では、直接火を扱わない業務であったとしても業務上失火罪を認めた貴重な判例であったようです。また、被告人の上告は棄却されました。

二代目京都駅が火災によって焼失したことは知られていますが、どのような流れで出火し消火されたのかは多く知られていません。年表だけではただの火災ですが、私たちが文献を辿ることによって忘れられてしまった事実がもう一度浮かび上がってくるのです。


【参考文献】
「防災 No.20 京都驛の火災」東京連合防火協会
「ジュリスト 10月1日号 京都駅失火事件上告審判決」田原義衛
「政経リポート 畿内見聞録 JR京都駅改革小史」望月秀祐
「京都駅物語 駅と鉄道130年のあゆみ」荒川清彦
「日本国有鉄道百年史」鉄道省
「京都驛全燒す」産業経済新聞
「建築家三代 安井建築設計事務所 継承と発展」佐野正一