手狭になった京都駅の改良工事が計画された二年後の明治45年7月30日、明治天皇が崩御されます。
大正元年9月14日、明治天皇を乗せた霊柩列車は青山葬場から青山仮停車場~品川駅~名古屋駅~大垣~京都駅を経て、御陵のある桃山駅へと向かいました。
明治天皇大葬運送2
霊柩列車が京都駅へ到着した様子

明治天皇を乗せた霊柩列車は16時30分に京都駅へ到着。
上記の絵葉書は駅構内西(神戸方面)から東(新橋方面)に向けて撮影されたもので、明治30年に設置された跨線橋も写っています。
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北が下になっているので注意

上記の平面図を参考にして絵葉書を見てみると初代京都駅の構内を想像しやすくなると思います。
列車の停車しているホームが4番線、向いが下り本線(神戸方面)の3番ホーム、絵葉書の右側が5番線とそのホームとなります。4番ホーム上家の形も平面図と絵葉書で一致しています。
絵葉書の左奥に見えるのは上り本線(新橋方面)として使用されている1番ホームで、3番線との間には2番線(ホームの無い中線)が敷設されていました。
また、当時の奈良線は明治40年に国有化された関西鉄道(実際に敷設したのは関西鉄道と合併した奈良鉄道)が敷設したルートを使用していました。
写真 2014-10-13 16 43 58
水色が東海道線、緑色が奈良線

現在と違い、当時の奈良線は京都駅から一旦西へ向け敷設されている為、霊柩列車が品川から東海道線を通り京都へ入線しても機関車の機回しの必要もなくそのまま桃山駅へ出発したと考えられます。
桃山駅には17時10分に到着。
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明治天皇大喪の為に整備された桃山駅
南側から撮影されたもの


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桃山駅の駅前を北側から撮影したもの

整備された桃山駅には御陵口という駅北側の桃山御陵へと続く出口がありました。現在では土地開発が行われ、残念ながら面影は殆ど残っていません。

桃山御陵ケーブルカー正面
絵葉書中央に見られるのが傾斜鉄道

また伏見桃山御陵では、勾配が急な為に棺を運送するケーブルカーが設置されました。絵葉書からもかなりの傾斜であることが分かります。

歴史的な資料を当たっていくのも大切ですが、比較的入手しやすい絵葉書と組み合わせることで新たな発見や気付くことも多いと思います。



【参考文献】
「京都停車場改良工事計画圖」西部鉄道管理局
「神殿大観」安藤希章

【参考】
「京都市街明細地圖」